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25. 自分の常識は他人の常識!?
- Curse of Knowledge


古田一義
2004年09月01日

 先日某所でセミナーの講師をした時に仕入れたネタをば。

 ヒトは自分が知っていることを、他人も知っていることのように誤認してしまう傾向がある、ということを客観的事実として検証しようという認知科学のトレンドについてです。

 従来、Theory of Mind[進化研究と社会 用語集]と呼ばれる発達心理学の研究で、子供は自分と他者の心を別個のものとして捉えることができない、といったことが実証されてきました。

 有名なサリーとアンの実験を紹介しましょう。

 アンはボールを箱Aにしまい、部屋を出て行きました。そこへサリーが来てボールを箱Aから箱Bに移し替えてしまいます。そこへアンが戻ってきてボールを取り出そうとするのはA、Bどちらの箱でしょう?

 このような問題を子供に出すと、だいたい3〜4才以下では「B」と答えてしまうんだそうです。つまり、ボールが移ったことを知っている自分という存在とは別に、ボールの移動を知らない“はず”という別の人格、アンを想定することができていない、ということを示唆しています。この研究は80年代から議論されて来たもので、未成熟な子供はこういう傾向があるんだよね、ってノリで言われてきました。

 ところが最近の研究で、大人だって実はそこの切り分けが完全にはできていないかも知れない、ということが示唆されるようになってきたのです。この研究トピックはいくつかの呼ばれ方があるようですが、個人的には「Curse of Knowledge」というのがお気に入りです。ここでは「知識の呪縛」とでも訳しましょう。

 こんな実験があります。

ミシシッピ川って1万マイルよりも長いでしょうか、短いでしょうか?

 たいていの被験者は自信を持って答えられないでしょう。その後で、正解を教える群と教えない群に分け、既有知識を統制します。続いて、

ところで、これは世間ではどのくらいの人が知っているでしょうね?

 ちょっと元論文が見つからないので、詳しい数値はわからないのですが、正解を教えた群の方がより多めに見積もる、つまり世間的には常識である、という方向に判断しがちである、という傾向が出るんだそうです。

 自分が知っているということが、他人も知っていそうかどうかという判断にバイアスをかけてしまう、ということですね。平たく言えばヒトは表題の通り「自分の常識は他人にとっても常識」と信じてしまう性質を持っているらしい、ということですね。

 我々ユーザビリティ屋は、インターフェイス・デザイナーにとって当たり前のことも、ユーザにとってはそうでないんだ、ということを口をすっぱくして言ってきたワケですが、それってこういう文脈に限ったことではなくて、広くヒトの認知の基本性質だったんですね。デザイナーがユーザに、教師が生徒に、上司が部下に「わかれよ、これくらい!」とか思っちゃうのって、無理からぬことであると同時に、多分無理なことを要求しているんでしょうね。


コメント、叱咤、激励、議論、補足
1. 2004年09月01日
Makoto さん wrote:

ん?
この後半の主張ってなんだか怪しいぞ。
どこが、と聞かれるとわからないけど、なんか怪しい。
(僕のメタ認知がそう語っている...)



2. 2004年09月02日
古田@道具眼 さん wrote:

いや、そこをひとつ具体的に(^^;)。
後半ってミシシッピの実験のとこからですか?
実際、直接元論文をあたってなくて、なほみ先生から聞いた話なんで、上手く説明できていないかも知れませんが。
最初から答えを知っていたかどうかで統制とってない辺りですか?

3. 2004年10月11日
ななし さん wrote:

これは、自分が物事をしらないとおもってるかどうかにもよるような気がします。
自信の常識に疑いを持っている人ならば、「知らないのは俺だけなんだろうな」と思うからかも。
特に日本人は謙虚であることを美徳にしているから、同じ実験を日本でやると比率はすごいことになりそうなきもします。

4. 2004年10月11日
古田@道具眼 さん wrote:

そうですね。文化差は当然あるでしょうね。
ちょうど母校のゼミでも話題になっているようなので、学生で日本人でデータとってみようってのが現れないか期待したいしています。その時はご報告したいと思います。

5. 2004年10月11日
RSE さん wrote:

何か大きなパラドクスがあるような気がします。
例えば、上司が部下にどうしてこんなこともわからないのか・・・と嘆くという例を出されており、そのことに対して納得し、おそらく古田さんの中では、今後は気をつけなければと認識されるでしょう。その場合、その認識こそが常識となり、以降他にその主張を投げかけるってことはないかなぁ?よくわかんないけど。

そうすることで、また常識が常識を呼び・・・と無限ループに達したり・・・しないかな?
もちそんあくまで「誤認」してしまう「ことがある」だけですので、永遠に続きはしないでしょうが。しかしながら、自分の常識は他人の常識ではないという常識が存在した場合、それはどうなるのかといった悩みが私には解決できません(笑

もう一つ言えば、本当に自分の常識は他人の常識でもあるパターンが存在するのではないでしょうか?小さなコミュニティ内による暗黙の了解が存在する場合、それは誤認ではなく、認識の一致であり、上記の実験は成り立たないはずで。

コメントしてる自分も混乱してしまいそうな程、難解ですね^^

6. 2004年10月14日
名無し さん wrote:

取り上げられている2つの例を対比させているのが分かりにくい原因のような気もします。
アン・サリー課題は、現在では自閉症児に対してのチェックに良く使用されるものですが、
これが示すのは絵を見ている自分という存在と、物語における人物を区別できるかどうか、という点における話だと思われます。
後者は、多分自分の知識に対しての帰属にかかるバイアスを証明した実験ではないかと思われます。
前者はともかく、後者は専門外なので分からないのですが、前者が問題にしているのは
もっと根元的な自ー他の分離であり、この事と後者は似て非なる事柄でのような気がします。
前者は他人というものの認識があるかどうか、ですが後者は自らの持つ知識に対する事
だけに起こりうるバイアスが存在する事を証明しただけで、知識に関する事柄のみ
に限定された結果ではないでしょうか
(細かい揚げ足取りになりますが、課題は箱とかごで分けられてますし、誤認するのは3歳以下だと思われます。)


7. 2004年10月14日
古田@道具眼 さん wrote:

うわ、いつになく活発にコメントがついてますね。

元ネタは「Trends in Cognitive Science」の7月か8月号の論文なんですが、セミナー直前に先生に紹介されてツッコンだネタなので、しっかりとは読んでなくてちょっと理解が足りない部分もあるかと思います。すみません。
<
http://www.trends.com/tics/default.htm>

>5
確かにこのこと自体を他人にとっても常識と思ってしまう、ということはあるでしょうね。ただ矛盾とか無限ループに陥りますかね?確かにこんがらがってきますね。
 次に紹介しようと思っているヒューリスティクスの話でもそうなんですが、この手の一見不合理な認知活動って、たぶん矯正が効く類のものではないんですよね。知識として知っていると多少は理性的に再吟味ができるかな、ってくらいで。

 実際にそれが常識だったかどうかはこの実験では問題にならないのではないでしょうか?実験群と統制群の間で差が出たこと自体が面白いところな気がします。

>6
 ご指摘の通り、アン・サリーの話と、後半の話は発生のメカニズムが同一かどうかははっきりはしてないと思います。が、個人的、直感的にσ(^^)の脳内に描いたモデルでは根っこは同じなんじゃないかなぁ、なんて思ってました。論文でどういう位置づけでアン・サリーの例が出ていたかはチェックしてみます。
 年齢に関しては「4歳を境に」と聞いたかも知れません。

 この辺り、一緒にセミナー講師をして、上記論文もσ(^^)よりしっかり目を通していた奥泉さん、どうでしょう?と振ってみる。

8. 2004年12月31日
t.t.t さん wrote:

 常識って本当のところは思いやりとか正確な相互理解みたいなものの結果が常識として認知されていくものだと思います。
ですから自分が知っているから相手も知っているだろうというのは、ただのワガママかなと。
 これは私の希望ですが、いろんな人種特有の常識は様々ですのでそれらの違いを踏まえた上での理解が常識であってほしいです。
 何をわかりきったことを!、なんていわれそうですがほんとにそう思います。

9. 2005年01月10日
電通太郎 さん wrote:

こないだ大学の心理学の講義で、同じことをやってました。
おもしろいですよね。

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