弟子は師匠を踏み越えて

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 まがりなりにも、IT系の業種に身を置いていると、現役期間の短さに対して不安を覚えます。新しいテクノロジーや考え方についていけなくなり、役立たずになった自分を想像すると長生きするのが怖かったりします。だから日々太く短く生きようなんて豪語してみたり(不摂生な生活の言い訳だという噂も)。
 ただ、最近いくつかの見聞を通して、少し考え方が変わってきました。それは、σ(^^)の古巣で師匠達が取り組んでいる学習理論研究についてだったり、自分でもユーザビリティ教育に携わったりした経験からだったりします。
#あと、ガンダムSEED(笑)
 認知科学などの分野で「賢さ」の研究成果に基づいた教育論が展開されており、単に知識の詰め込みだけでなく、考え方や思考法などをどう教えるかといった議論が活発になされています。eラーニング環境もσ(^^)が在学していたほんの10年にも満たない昔に比べても驚くような進歩を遂げています。我が師、三宅なほみ先生が昨年放送大学で行った講義「学習科学とテクノロジ」なんかを見てると、「子供の頃からこんな教育受けたヤツらがたくさん社会に出てきたら、そりゃ勝ち目ないよな」と思うワケです。いわばヤツラはコーディネイターですよ(ガンダムSEEDネタ。遺伝子操作で能力を向上した人類)。思考法からしてナチュラルの我々とは別物になってる可能性が大きいワケです。
 教育って本気で取り組んだら本質的に生徒が先生を超えて行かなきゃならないものなんじゃないでしょうか。先生が知っていることをひたすら生徒に伝授し、先生の複製が育つだけでは、成果としてはまだまだなんじゃないかと。先生は自分がしてきた苦労を元に知見を整理し、生徒が同じ苦労をしなくても効率良くノウハウを習得できるようにフォローしてやるべきでしょう?そしてそれができたなら、生徒は先生と同じ時間の中でより多くのことを学び、更なる高みへと上がれるはずじゃないですか。そうして初めて教育者は自身の成果を誇って良いんじゃないでしょうか。
 後進に追い抜かれることを恐れてる場合じゃない。自分が及びもつかない後進を育てることを誇りに思うくらいの気概で行こう。「ヤツラがオレ達よりイケてるのは、オレ達の時にはなかった○○をオレ達が揃えといてやったからだ」と言えるような成果を出そう。
 そう考え始めたら、長生きするのがちょっとだけ楽しみに思えてきました。

“弟子は師匠を踏み越えて” への1件の返信

  1. 曲がりなりにも「先生」をしているので、ちょっとグッと来ました。
    なほみ先生のその講義、機会があったら見てみたいなぁ。

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