なぜ人はググらないのか?

先日知人から、「Word2007がファイル毎に閉じるボタンがなくて不便。なんとかならないか?」という質問をもらいました。私自身Office2007は発売日から使ってますが、あまり不便を感じていなかったので「そう言われればMDIじゃなくなったんだっけ」と思いGoogleで検索。「Word 2007 閉じるボタン」で探せばすぐに解決策を発見できました。

σ(^^)は日々こういう質問を受けることが少なくありません。そして知らなかったけど検索エンジンで調べたらすぐ答えがわかった、という案件も多いです。だったら自分で検索すれば、午前中は寝ていてロクに返信がσ(^^)なんぞに電話やメールでヘルプを求めるよりも手っ取り早いのではないか?と思うワケですが、質問メールは減るどころか増える一方な気がします。

こういった検索エンジン・リテラシーと機械音痴の関係についてしばらく色々考察をしていきたいと思い、今回は思ったことをつらつらと書きなぐってみます。以下、全く整理されていない覚書レベルのエントリなのでご勘弁下さい。

■検索エンジンを使うのは難しいのか?

(Webフォームとしての)検索エンジンの使い方は特に難しいところはないと思います。テキスト欄にキーワードを入れて「検索」ボタンを押すだけです。難しい、というかコツがいるのは

  1. 適切な検索ワードの選び方
  2. 検索結果の見方
  3. リンク先のコメンツの吟味

いったところでしょうか。

1.は実は最近の検索エンジンはかなり柔軟に対応してくれます。仮に「Word2007に閉じるボタンがない」と自然文でGoogle検索しても勝手に単語に分解(形態素解析といいます)した上で処理してくれます。実際、先の3キーワードの時の同じような結果が得られます。ANDやORといった論理式の仕組みを知らないでもほとんど不自由はないでしょう。実際、ORやNOTなんてσ(^^)でも使ったことありません。Googleで使うのは””で囲むグルーピング位でしょうか。
それでも多くの人は1ワードで検索するもの、という意識が強いかも知れません。仮面ライダーWなんかを見ている子供の方が、「複数のワードでAND検索すると結果が絞り込める」ということを自然に理解してるのかも(笑)。

2.に関してはもう少しコツがいるのは確かでしょう。σ(^^)自身が結果を読み取る時、どんなことを気にしてるか考えてみます。
まずタイトルに「教えて」とか「OKWave」とかあればFAQサイトで似たような疑問とその回答が見られると期待します。その下の概要も読みますね。マッチしたキーワードが強調表示されるので、どれくらい関連がありそうかなどが読み取れます。また緑色で表示されるURLも、例えばmicrosoftとか調べたい製品のメーカーに関係するドメインなら有益な情報が得られそうだ、といったアタリをつけるのに活用します。
こうして考えてしまうとそれなりに大変そうに見えてきますが、実際のところはどうなんでしょうね。アイカメラなどを使ってデータとってみたい気がします。

3.は確かに玉石混淆だしレイアウトもバラバラなので場合によってはこれもそれなりに労力が必要かも知れません。

■無力感が学習された上でのことか?

心理学に「学習された無力感(learned helplessness)」という言葉があります。実際にはちょっと頑張ればなんとかなってしまう事でも、過去の経験からの学習によって、「たぶん上手くいかないだろう」と諦めてしまう心理状態を指します。目の前の問題を検索エンジンで調べてみようと思わないのは、前節のような大変さを経験して諦めているからなのでしょうか?直感的にはそれ以前の人も多いんじゃないかと思います。

ここで、2chで有名なコピペを貼って見ます。

<わからない9大理由>

  1. 読まない …説明書などを読まない。読む気などさらさらない。
  2. 調べない …過去スレ、ググるなど最低限の内容も自分で調べようとしない。
  3. 試さない …めんどくさいなどの理由で実行しない。する気もない。
  4. 覚えない …人から聞いて、楽して得た答えは身に付かないから、すぐに忘れる。
  5. 説明できない …何に困っているのか、第三者に正確に伝わる文章が書けない。
  6. 理解力が足りない …理解力以前の問題で理解しようとしない。
  7. 人を利用することしか頭にない …甘え根性でその場を乗り切ろうとする。
  8. 感謝しない …教えてもらって当たり前。事がすんだらさようなら。
  9. 逆切れする …自分の思うようにならないと逆切れする。

まぁ、コピペなんで話半分に読むべきだと思いますが、いくつかはそれなりに的を射ている気がします。ではなぜそうなるのでしょう?それほど重要じゃないんでしょうか。仮にWordに閉じるボタンがなかろうが、PCがネットにつながらなくなろうが、生活全体からみたら些細な問題で後回しにできる。「エージェント」に投げておいて答えが見つかればラッキーてなものなのかも知れません。逆にσ(^^)のような「オタク」はそうしたトラブルの致命度は高いですし急を要します。質問者もさぞ困っているであろうと思って仕事を中断して調べた結果をメールしても返事がなかったり「ありがとう。今度ヒマな時にやってみます」なんて言われて肩すかしを食らったりします。重要度も緊急度も低ければ特に自分でなんとかしようとも思わないし、リテラシーも高まらない。「自分でググって解決できた!」という成功体験だって得られません。

動物は一度上手くいった方略を延々と繰り返そうとする習性を持っています。進化論的、環境学的妥当性的に言えば、いちどエサをたくさんゲットできた場所は「エサ場」として学習して再利用する方が、毎回ランダムだったり常に新しい場所を試すよりは合理的で生き残る可能性が高い訳です。こうした遺伝子レベルの習性は現代社会の問題解決でも活用されているという証拠は、心理学や認知科学の知見が明らかにしています。興味がある人は「ルーチンスの水瓶問題」等を参照してみて下さい。

つまり、検索エンジンで問題解決成功体験を持つ人は次回も検索エンジンを使おうと思うし、人に助けられた人はまた頼り続ける、という傾向はあるかも知れません。いっそパソコン教室等で、スタッフが教えないで自分で調べさせよう!という教育ポリシーを持ってみてはどうでしょうね。「じゃぁ私はなんの為にお金払ってここに来てるんだ!」とキレられること請け合いですが(
笑)、実はその行為自体がリテラシー、問題解決能力を育むという仮説は成り立つ気がします。

うーん、やっぱちょっとデータとってみたいですねぇ。リテラシーの高い人と低い人に検索エンジンを使った問題解決をさせてみて、使うワードの差やその後の方略の違いについてログをとって比較してみる。5人ずつくらいでよさそう。年度があけてヒマになったら(そしてリサーチ資金があったら)やってみようかな。

■テクノロジによる支援

常々思っていることですが、ソフトウェアのエラーメッセージダイアログに「このメッセージをGoogleで調べる」ボタンをつけたらどうなんでしょうね?使ってるOSバージョン等の周辺情報もANDで含めたりして。周りの人からσ(^^)はなんでも知ってると思われてるかも知れませんが、実際になんでも知ってるのはGoogle先生なワケです。とりあえず直接聞いてみて下さいよ、と。PC上の活動履歴を役立てようとロギングツールを研究開発している近藤さんとかに協力を仰いで、画面上のエラー表示エリアなりダイアログなりをマウスで囲うとテキスト抽出してGoogleに投げるツールとか作れないかしらとか思ったり。たぶん、PC上でテキスト抽出する方が確実なんですが、今時のWindowsならSnippingToolのような優秀な部分スクリーンショット撮影ツールが搭載されているので、ビットマップで送信するとOCRしてくれるようなASPを作った方が現実的かな?検索リテラシない人がそういう専用ツールをわざわざインストールするとも思えないし。OCRって簡単に利用できるライブラリとかあるんですかねぇ。(←あ、これからちゃんと自分でググりますんでw)

道具眼コラム追加 「25.自分の常識は他人の常識!?」

 先日某所でセミナーの講師をした時に仕入れたネタをば。
 ヒトは自分が知っていることを、他人も知っていることのように誤認してしまう傾向がある、ということを客観的事実として検証しようという認知科学のトレンドについてです。
 ブログにゃちと長い、という意見をいただいたので、コラムに移動しました。

便利なはずなのに習慣化しないもの

 思うとこあって引っ越しました。横浜市民です。
 で、新居には入居時に新品エアコンが2台入れてもらえる契約になっていて、SANYO製のものが取り付けられていました。物好きなσ(^^)は早速公式サイトでスペックをチェック。「6畳間とDKの戸をとりはらって、1部屋として使うつもりだけど、やっぱつけてくれたのは6畳用のエアコンか。ちぇ~。」などと思いつつも、面白げなオプションをハケーン。テレコントローラーですよ。つまり、テレホンでコントロールですよ。SANYO標準のリモコン信号を発する仕様で、一定年式よりも新しい機種であれば原則対応しているようです。21世紀っぽいぜ、ってことで早速注文。ケータイなどからエアコンの電源や運転モードを操作することができるようになりました!
 ところが、これが使わない(^^;)。別に使いにくいワケではないんですが、「もうすぐ帰宅するぞ」って時に「そだ、エアコンを入れとこう」という発想につながらない。帰宅して玄関のドアをくぐった瞬間に「あー、電話操作できるようにしたんだった!」と気付く瞬間の悔しいことといったら…。σ(^^)のアタマが20世紀に置いてけぼりですか…orz
 実は最近、この手の経験が他にもあるんです。
1.Googleデスクバー
 Windowsのタスクバーに常駐するGoogle検索ユーティリティ。ミニブラウザ内蔵で、ブラウザを立ち上げなくても結果が見られるし、どんなアプリを使っていてもキーボード・ショートカットでサクっと検索を実行できて便利極まりないぜ、と普段使っているマシン数台に速攻でインストールしたんですが、結局気付くとブラウザから普通に(Googleツールバーの類は使います)検索してるんですよね。
2.ekitan Express
 駅前探検倶楽部の路線検索をアプリケーション化したものです。ブラウザで検索するのよりも速い(データ通信量が少ない)し、使った駅の履歴は覚えててくれるし、「その一本前に乗る」みたいな細かい調整ができるとあって、速攻で購入したんですが、これも気付くとブラウザで調べちゃってるんですよね。一方で、Googleで「あざみ野から渋谷」と調べると、駅前探検倶楽部にリダイレクトされる機能は一瞬で身に付きました。もっぱらこればかり使ってます。
 うーん、なんなんでしょうね。便利だと思うし、むしろ使いたいと思っているのに、いざ気付くと使い慣れた方を使っている。新サービス、機能を使う習慣が身に付かないんですよ。後の2件は単に普段からブラウザが起動しっぱなしのことが多い、ということも関係してると思いますが、わざわざブラウザ立ち上げてる時すらあったり。
 ヒトは操作ステップ数みたいな効率だけでなく、認知的なプランニングや記憶想起負荷などトータルな負担、効率を考慮して課題遂行方略を決定してるんでしょうかね。うーん、無意識にそんな高度な処理してるかなぁ。単に「慣れじゃん?」で話を終わらせてもいいんだけど、ではそれを上書きして、新ソリューションを使う習慣を身につけるにはどうしたらいいんでしょう。使いたいんですよ。せっかく買ったんだから。主観的には使う方がメリット大きいと思ってるんです。それでも身体が本当に必要としてないと使えない、なんてことは認めたくないっす。

勝手ユーザビリティ改善提案を阻む“壁”

大手サイトの不備を模造サイトで指摘するユーザーたち [Yahoo! コンピュータニュース]
 使い勝手の悪いWebサイトを自サイトにコピーして、HTML、CSSを書き直して勝手改善バージョンを公開かぁ。確かにやり方としてはグレーな部分もあるでしょうが、上手く回れば素晴らしいことです。この企業サイトも器量が狭いなぁ。恥ずべき、責められるべきは高い金とって使い勝手の悪い制作をしたデザイン会社だろうに。そこに払うお金のほんの何割かでもボランティアに回せばよろしかろう?
 σ(^^)もお気に入りのサイトのちょっとしたバグ(Operaで問題がある場合とか)くらいなら「不便なので直して下さい。こうすりゃ直ります。」とメールしたりもしますが、こんなサイトを丸ごとリデザインするような手間をボランティアでかけてくれるなんて貴重以外の何ものでもないですよね。
 またσ(^^)は自分でも多少プログラムをたしなみますが、売り物にするでもなし、やっぱり限られた時間では「動けばいいや」的に妥協しちゃう点も多いです。HTML/CSSや情報デザインもそれほど詳しくないので、(ユーザビリティ屋のサイトのクセに)Webサイトの出来も多分ツッコミ所満載だと思います。それをざわざわ手間暇かけて改善してくれるなんて、羨ましい話しですよ。
 世の中、「バカの壁」ならぬ「成果帰属の壁」みたいなものが立ちはだかってますね。皆が幸せになれるなら、それが誰の手によろうといいじゃないですか。どうせユーザビリティにもデザインにも完成なんて遠すぎる幻で、全ては発展途上なんです。世の中のあらゆるオイシイところはどんどん取り込むべきです。世界のどこかに自分の知らないアイデアや知見が転がっていて、それを「あなたのサイト/製品にも取り込んでみたら?」と紹介してくれる人がいるんなら、それは恥ではなく得なんではないでしょうか。
 もらいっぱなしじゃ申し訳ないとか悔しいっていうなら、逆ギレするんじゃなくて、今度は自分の知見を周りに提供していきゃいいんじゃないですかね。そんな連鎖が生まれたら、世の中ものスゴイ勢いで進歩すると思うんですけどね。理想論ですか、そうですか…
 まぁ現実的な話し、アドバイスする側も、制作者側のプライドという名の「成果帰属の壁」を極力刺激しないような方法は考えることに関しては、もう少し真剣に取り組む価値があるでしょうね。例えばいきなり公にするのではなく、まずはサイト制作者にだけフィードバックする形をとるとか。昨今セキュリティ・ホールの指摘方法についても問題になっていますが、ひっくるめて、こういったの善意を無駄にしないような枠組みや、それを受け入れることは制作者にとって恥じゃないんだというコンセンサスを上手く作っていきたいですね。これは何もこういたボランティア・ハッカーに関する話しに限らず、一般にユーザビリティ・コンサルタントが設計者、デザイナーと付き合っていく上で非常に重要なことでもありますしね。

概念に呼び名がつくと理解が深まるカンジ

お笑いの専門用語集
 普段、何気なく聞いて笑っている漫才やコントの世界にもちゃんと技法としての呼び名がついているんですね。例えば、

のりツッコミ
 一旦、ボケにつきあった後につっこむこと。ボケAにのり、ボケAにつっこむ場合と、ボケAにのっかりつつ、更にボケBをかました上で、自分でそれにつっこむ場合がある。
天丼
 ある時点でつかったギャグを、少し時間を置いて話題がかわった時点で再利用すること。一種のボケとして話が噛み合わない場所に使う。

なんてのは、「あ~、あれね」とピンと来るんじゃないでしょうか。
 今まで漠然とギャクの連続したもの、として見ていた漫才やコントが、このように技法という形でボキャブラリを得ることで、途端に構造解析したり、自分でも組んでみられる気がする感覚が興味深いです。
 一見、規則性がなく不定形なものの塊にしか感じられていなかったものに対して、一部のパーツのシルエットを与えてやることで、実は単純なパターンの繰り返しや部品の組み合わせから成っていることが“視えて”きたりする。うーん、あんまり良い例が思い浮かばないんですが、例えば素材や調味料の味や香りを知っていると、ある出来上がった料理を見て、それを分析したり、似たようなものを作ったりできる、ってのに近いでしょうか?
 当サイトがユーザビリティ・パターンというコーナーで取り組んでいる事は、多分これに近いことなんだと思います。ぼんやりとしたユーザビリティ上の問題点に対峙した時に、その部分部分を“くり抜いて”いくためのツールなんですよね。
 将来、そういうボキャブラリーを集めた辞書が作られた時、その行き着く先、使われ方は、ヒューリスティック評価法やチェックリスト系の評価手法と同じような形になるのかどうか、ってところも気になりますね。
 あるいは、問題点の評価だけではなく、例えば機械オンチな人に贈る超汎用ガイドブックなんてのも作れるかも知れません。「パソコンの操作ってのは、すべからく“操作対象の指定”と“操作内容の指定”から成り立っています」とか「何か設定を変更した後は、それをコンピュータに記憶され、適用を開始させるための合図が必要になります」みたいな。
 うーん、長くなったので、コラムに掲載しようかとも思ったけど、ちゃんとオチがつかないので、ここ(ブログ)にしとくか。
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課題分割
先人の計算

弟子は師匠を踏み越えて

 まがりなりにも、IT系の業種に身を置いていると、現役期間の短さに対して不安を覚えます。新しいテクノロジーや考え方についていけなくなり、役立たずになった自分を想像すると長生きするのが怖かったりします。だから日々太く短く生きようなんて豪語してみたり(不摂生な生活の言い訳だという噂も)。
 ただ、最近いくつかの見聞を通して、少し考え方が変わってきました。それは、σ(^^)の古巣で師匠達が取り組んでいる学習理論研究についてだったり、自分でもユーザビリティ教育に携わったりした経験からだったりします。
#あと、ガンダムSEED(笑)
 認知科学などの分野で「賢さ」の研究成果に基づいた教育論が展開されており、単に知識の詰め込みだけでなく、考え方や思考法などをどう教えるかといった議論が活発になされています。eラーニング環境もσ(^^)が在学していたほんの10年にも満たない昔に比べても驚くような進歩を遂げています。我が師、三宅なほみ先生が昨年放送大学で行った講義「学習科学とテクノロジ」なんかを見てると、「子供の頃からこんな教育受けたヤツらがたくさん社会に出てきたら、そりゃ勝ち目ないよな」と思うワケです。いわばヤツラはコーディネイターですよ(ガンダムSEEDネタ。遺伝子操作で能力を向上した人類)。思考法からしてナチュラルの我々とは別物になってる可能性が大きいワケです。
 教育って本気で取り組んだら本質的に生徒が先生を超えて行かなきゃならないものなんじゃないでしょうか。先生が知っていることをひたすら生徒に伝授し、先生の複製が育つだけでは、成果としてはまだまだなんじゃないかと。先生は自分がしてきた苦労を元に知見を整理し、生徒が同じ苦労をしなくても効率良くノウハウを習得できるようにフォローしてやるべきでしょう?そしてそれができたなら、生徒は先生と同じ時間の中でより多くのことを学び、更なる高みへと上がれるはずじゃないですか。そうして初めて教育者は自身の成果を誇って良いんじゃないでしょうか。
 後進に追い抜かれることを恐れてる場合じゃない。自分が及びもつかない後進を育てることを誇りに思うくらいの気概で行こう。「ヤツラがオレ達よりイケてるのは、オレ達の時にはなかった○○をオレ達が揃えといてやったからだ」と言えるような成果を出そう。
 そう考え始めたら、長生きするのがちょっとだけ楽しみに思えてきました。

ヒトの認知の“脆弱性”を利用したウィルス

携帯電話ウイルス「Cabir」は未来の感染予防に教訓†Symbianが詳細公表 [INTERNET Watch]
 このケースでは(最初の2つのダイアログは不可避と思われるため)制作者が狙ってたかどうかはともかく、Yesを連打してしまうヒトの習性が、結果としてセキュリティ・ホールを利用されることなくウィルスを感染させてしまう、ということですね。
 確かにセキュリティ技術が進歩するにつれ、こういうところって狙われてくるのかも知れません。現時点で既に問題になっているのは、スパイウェアの類ですよね。σ(^^)が時々相談を受ける人も、調子が悪いというので診断すると、これでもかってくらいスパイウェアまみれになってたり。Ad-awareでスキャンすると300件とか見つかっちゃう。自己増殖する性質を考慮に入れても、普通に使っててこんなに入らないでしょ、ってくらい。たぶん、アダルト・サイト見たさに読めない英語をスキップしてクリック、クリックしてるとこういうことになるんだろうなぁ。で、たいてい側に奥さんがいる手前「アヤしいサイトに出入りしてアヤしいダイアログのボタンを押しちゃダメですよ」くらいしか言えない(笑)。
 ウチは.comドメインなので海外のスパムがよく届きます。フィルタリング・ソフトなども導入してるんですが、スパム業者の方も呆れるくらいアノ手コノ手で攻めてきますよね。「SEX」って単語がNGワードになってくると、「*S*E*X*」みたいに書いてみたり、ベイジアン・フィルタのように文中のNGワードの出現頻度を統計的に分析する類の技術に対しては、(HTMLメールで)フォント色を白にして通常の言葉をたくさん埋め込んでNGワードの統計的頻度を薄めてみたり。こうしてフィルタが検知できないよう混入された妨害ノイズも、ヒトの認知の優秀さにかかればスンナリ無視されて、本来のNGワードだけが目に入ってしまうんですよね。
 こういう、ヒトの認知特性が“脆弱性”として利用されつつある今、逆に認知屋はどういう知見で対抗できるんでしょうね。