夢見る脳

 今日、たまたま見た夢から自分の精神状態を云々している友達のmixi日記を見て、ふと大学生の頃に読んだ本を思い出しました。人は夢をどうして見るのかについて最新の(といってももう1992年出版)理論を展開している本で、フロイトの精神分析的な理論をバッサリ否定しています。「フロイトのせいで、夢の科学は100年は遅れ、いまなお大いなる悪影響の下にある」みたいなことを書いてたのが印象的でした。

 (当時読んだ記憶を元に書くと確か、)この本の主張によると、細胞が寝ている間に生体電気的なノイズを発していて、それを外来の感覚刺激と区別できない脳が意味のある情報として解釈しようとした結果が夢である、ということだったと思います。つまり、本来はランダムパターンでしかない電位信号を、例えば視神経方面から来たらそれを視覚刺激だと思って解釈してしまうということですね。当然本来は整合が取れない入力なんですが、視覚、聴覚、触覚、更には思考にいたるまで、通常認知と同様に記憶などを活用してトップダウン的に補完を行い、一応筋の通った“体験”に仕立ててしまうんだからスゴいですよね。夢が矛盾してたり非現実的だったりするのは、そもそもが一貫した意味のある入力を元にしてないから当然なんですね。

the_cat.png

 右の図を見てください。これは人間の知覚が脳のトップダウン的なバイアスを受けて歪むことを示している有名な図版です。「THE CAT」と書いてありますよね?でも実は、二文字目と五文字目は脳への知覚刺激としては同じ入力のはずなんです。しかし、前後の文字と単語に関する記憶が知覚を“歪めて”しまうために、認知結果が異なってしまうんですね。恐らく上で言っている夢の解釈も、これのすごく高度で複雑な処理が行われて、なんとか意味のあるものに仕上がる、というワケです。

 当時認知の状況依存的な性質についての知識があったかどうか定かではないですが、今、認知の知識を多少なりとも得た状態で考えると、逆に昼間起きているうちに行っている認知活動だって、本質的にはこれくらい「でっちあげ」に近いバイアスを受けていたって不思議ではないということに気付きます。もちろん現実世界からの刺激はずっと系統立っているし、そもそもそれと一貫した刺激を長年受けることで構築してきたデータベースを使って解釈を試みるわけですから、基本的にはそうヒドい矛盾が起きたりとかはしないんですけどね。でも言ってしまえば、人の“現実”感なんてのもその程度のもの(過去の記憶と矛盾しない)でしかないのかも、と思ったり。

 今、この本が研究の最先端でどういう位置づけにあるのかは知りませんが、これを読んだ時、なんだかスゴく興奮しました。もともとカウンセラー志望で心理学科を選んだものの、勉強してみて「なんか違うな」と思い、3年で知覚、記憶などを扱う基礎心理学系のゼミを選んだ頃だったのも重なったんでしょう。もともと既存の概念を根底からひっくり返すような発言や思考が大好きですし(^^;)。一時は真面目に卒論で夢について取り組みたいと思ってました。実験が大変だから無理と教官に止められましたがw…

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