“一番それっぽいの”ではなく、“それっぽい一番目の”

 株式会社イードさんのユーザビリティ・ポータルU-Siteで日本語訳が連載されてるJacob Nielsenの「AlertBox」、奥泉さんが翻訳スタッフに加わってペースがあがったのか、一気に3件も掲載されていますね。

 その中の一本、「デフォルトの力」に興味をひかれました。サーチエンジンの検索結果リストのうち、一番上をクリックする人の割合を調査した実験を紹介しています。もちろん一番上を選ぶ人が最多なんですが、この実験では裏で意図的に結果表示に手を入れていて、1番と2番が入れ替わって表示されるようにしてみたりしています。そうすると1番上をクリックする人は少し減るんだそうです(42%->34%)。概要などの内容を吟味している人がそれだけはいるよ、ということですかね。

 後半は、フォームの選択肢には最も選択される可能性が高いものをデフォルトで選択させとくべし、って主張です。通販サイトの住所記入フォームあたりなら確かにそうでしょうね。ただ、アンケートなどフォームの内容によってはちょっと危ない気はします。

 先日こんなことがありました。会社の同僚であり、一緒に道具眼活動もしているNA○KAさんと食事に行き、食後にアンケートの記入を依頼されました。で、「本日は誰と来ましたか?」みたいな設問があって、確か左から

 □会社の人  □友だち  □家族  □カップル  □(あと忘れた)

とかって順の選択肢になってました。なんの気なしに最初の「会社の人」にチェックして記入を続けていたら、彼女が「ねぇ、どれにした?」と覗き込んで来ました。そこでハタと「あ、なんか“会社の人”じゃ冷たいかな」と焦ってみたり。

 でもこういうことって常にあると思います。つまり、ユーザは与えられた選択肢をすべて吟味/比較した上で最適解を選ぶ、なんて方略は取らないってことです。以前のコラムでもユーザはそれほど誠意をもってアンケートには答えないだろうという議論を取り上げましたが、これはアンケートに限らず例えばUIメニューの項目選択などの文脈でも言えます。例えばあるアプリケーションの「ファイル」メニューの中に「保存…」と「エクスポート…」なんて項目が少し離れて存在したとします。やや特殊な形式で保存したいと思った時に、「そういう特別な形式は“エクスポート(輸出)”の方が近そうだね」って思う人はほんの一握り。大抵の人はメニュー項目を上から眺めていき、一番最初に出会った、一定値を超える“それっぽさ”を持った項目「保存…」を選びます。その後にあるもっとそれっぽい項目には気付きすらしないことが多いです。こういうのって、両方比較してちょっと考えれば論理的に正解が選べるってことが多いんですよね。でもSteve Krug曰く「ユーザの視界は猛スピードでハイウェイを疾走しながら看板を眺めるようにUIを見る」のであって、比較吟味なんて悠長なことはしてくれません。

 これはユーザテストをしていて本当によく遭遇するユーザーの行動です。こういうのはユーザビリティ・パターンとは別にユーザーの側の行動パターンあるいは行動ヒューリスティクスとかいう観点で類型化と事例蓄積をしてみたら面白そう。とりあえず、これなんかは名付けて「それっぽい一番目の」ヒューリスティクスなんてどうでしょう?(表題参照)

 というワケで、別にアナタを「友だちじゃない」とか「会社以外では付き合いが薄い人」と認識しているワケではないんです。大切な友人だと思ってます(>NA○KAさん)。しゃぶしゃぶ屋のアンケートごときが「それっぽい一番目の」方略で充分という価値付けだっただけなんです。と、こんなところでフォローしてみるチキン野郎が約一名。

ジャストシステム逆転勝訴

ジャストシステム、「一太郎/花子」訴訟で逆転勝訴 [PC Watch]

社会 一太郎差し止め取り消し ジャスト社が逆転勝訴(09/30 15:58) [Sankei Web]

 まぁ、とりあえず良かったですね(意外に審議が早かったなぁ)。

 結局、アレがアイコンかどうかという争点ではなく、そもそも松下の特許が出願時点でありふれたものであり、進歩性がないから特許として無効、つまり侵害も起こりえない、という裁定だったみたいですね。ジャスト側が海外の文献を証拠として提出したようです。

 そう聞くと、「そもそもそんなものに特許を認めるなよ>特許庁」って気もしますが、まぁ先行例が「ないことを証明」するのは「悪魔の証明」なワケで、そんなことを要求したら特許取得にかかる時間が無限に伸びてしまうワケです。とりあえず特許の審査官は先行特許くらいしか調査対象にはできないってことですね。異議申し立てや今回みたいな裁判になって始めて真面目に検討される。しかも異議を唱える側が証拠を揃えなければならない。まぁ、その方が合理的ではありますねぇ。後はもっと異議申し立て時の審査手続きが簡略化できればいいのかも知れませんね。特許にしろ意匠や商標登録にしろ、今はネットを通じた世間の目があるわけですから、「とりあえず私(審査官)には拒絶すべき要件は見つからなかったので特許として認めようと思うがどうよ?」と公示して、一定期間のうちにみんなでダメ出しをするような仕組みにはならないもんですかね?

 ちなみに、もし過去に松下の主張に従って特許料を既に支払っていた会社がいた場合、返してもらえるんでしょうかね?

 さて、松下は最高裁に上告するんでしょうかね?

 

添付ファイルの暗号化どうしてますか?

 σ(^^)はメールのセキュリティに危惧が強いほうで、S/MIMEやPGPといった暗号化メールの普及を願う一人です。ただ、これらは双方が導入していなければやりとりはできませんし、比較的一般的なメーラーで導入が容易なS/MIMEは電子証明書が有料なものが多かったりとなかなか業務でも利用できる機会は少ないです。

 ではせめて、と添付データだけはパスワードで暗号化をすることを勧めています。意外なことにMicrosoft Office自体には閲覧を制限するパスワード機能はありませんので、なにかしらのコンテナで暗号化する必要があります。最近はAES暗号も使えるzipなんかもいいんですが、セキュリティに厳しいサーバーだと.zip形式の添付がついたメールをはねるところすらでてきていますので、個人的にはPDFがオススメです。最近のAcrobatはPDFファイルに添付ファイルを埋め込む機能がついています。レポートをPDFに変換し、その元ファイル(WordやExcelファイル)を必要に応じて埋め込んで渡す、というのが多いです。相手がOffice使ってて当然とばかりにWordファイルを送りつけるのも個人的には抵抗がありますしね。で、PDF自体は暗号化機能をもっているので、添付ファイルごと暗号化してしまえば良いわけです。今のところPDF添付をはじく設定のメールサーバーというのは聞いたことがありません。

 さて、電子証明書と違ってパスワードによる暗号化の場合はそのパスワードの伝達方法が問題になります。これが漏れたら意味がありません。暗号化ファイルを添付したメールの本文に書いておくというのは論外です。と思っていたら、最近「パスワードは別途メールします」と直後にもう一通別のメールで送る、という方法を採っている人を複数見かけました。これもあんまり意味はないでしょうね。あるメールが読まれているということは、その前後のメールも読まれるという可能性は高いです。送信側のミスで間違った相手に送ってしまった場合の予防策という向きもありますが、これも連続して送る分には同じ間違いを犯してしまう可能性は高いんじゃないでしょうか?やはりできるならパスワードは電話などの別手段で伝えることが望ましいでしょうね。ただしFAXのように物理的に残るものは避けるべきでしょう。

 ただ、σ(^^)のように夜行性だとやはりメールで済ませたくもなります。比較的付き合いがあってケータイのメールアドレスがわかっている場合は、パスワードのみそちらへ送ったりします。もちろん「これがパスワードです」なんて書いてはいけません。「さきほどPCのメールへお知らせした件です」みたいな感じで単独ではなんのことかわからないようにします。ケータイ上の情報って意外とPCとは隔離されているので安全ではないかと。

 ではケータイのアドレスもわからない時は?σ(^^)は相手だけが知り得るような情報を使うようにしています。相手にもらった名刺にある情報をつかって、「電話番号の下五桁です」とかしておけば、単にメールを傍受した無関係な人には展開できないでしょう(産業スパイに狙われたりすればまた別ですが)。以前に打合せに尋ねた時に食事でもしていれば、その時出た趣味やプライベートな内容を反映させるのも有効かも知れません。

 でもこの手の方法は同一の添付ファイルを複数の担当者に一斉送信する時なんかにはやりづらかったりしますよね。

 みなさんはどうされてますか?良いアイデアがあれば是非聞かせてください。

写真でかける電話機

Engadget Japanese

 これ面白いですね。相手の写真を台の載せることでその相手に発信できる電話機で、高齢者向けに考案されたんだとか。最初に誰かが電話番号データの入った写真を用意してあげないといけないんでしょうけど、それができてしまえば確かに簡単そう。

 というか、RFIDやバーコードを使うんだとすれば、名刺やチラシにも応用できそうですね。ポストに入ってた宅配ピザのチラシを電話機の上に置くとかけられたりすれば楽ちん(←死語?)ですよね。

追記:

 あー、こういうのってPCにもリーダーつけて、公開鍵認証による電子署名&暗号化の公開鍵として名刺が使えたりすると便利かも知れませんねぇ。

『古田さん、それって使いやすいですか?』第三回掲載

"使いやすさ"への取り組み / 古田さん、それって使いやすいですか? 第3回 | ricoh JAPAN
 株式会社リコーさんのサイトで書かせていただいているコラムの第3回が掲載されました。
 今回のポイントは、一般ユーザはなにも専門家と同じ評価スキル、視点が必要な訳じゃないですよ、という点です。実際、有限の選択肢から最善のものを選ぶだけなので、随分シンプルな課題じゃないでしょうか。
 前置き的な内容でひっぱるのもそろそろ限界ですかね。次回くらいからもう少し実際的な内容にしていきたいと思います。といつも思いつつ、毎回書き始めると「あぁ、これも先に触れとかなくちゃ」という内容に思い当たって軌道修正してしまうんですよね…
 ご意見、ご感想などをお待ちしています。

インターフェイス研究が教育/学習理論にならうべきこと

 TCシンポジウム(マニュアル屋さんの集い)でのパネル討論に参加してきました。

 とりあえずやっぱり緊張すると早口になってしまう癖が出てしまいました。反省。聞いてくださった方、聞きづらかったかと思います。ごめんなさい。

 パネルの議題は、「使い手中心のマニュアル作りはどうあるべきか?」のようなものでした。σ(^^)の方で問題提起してみたのは3点。

  • 背景理解を誘発しない今のマニュアル
  • ジャーゴンってそんなに悪いもの?
  • 熟達者にも簡単シートを!

の三点です(なんかサザエさんの予告みたいだw)。今回のシンポジウムは「脱皮」がテーマだったので、あえて従来アプローチからすればアンチ的な要素を

■背景理解を誘発しない今のマニュアル

 現在の「取り扱い」説明書って、取り扱い方法、つまり手続き的な操作方法を伝達することを第一義としていますよね。でもそれって、σ(^^)が学生だった頃(σ(^^)は第二次ベビーブーム頂点世代)に盛んだった、詰め込み型の教授法そのものです。こういう方法で“使い方だけ”を詰め込まれた文法や公式は、役に立たない(学習者が現実の問題に適用し利用することができない)ことは実感される方は多いのではないでしょうか?

 最近の事例だと、無線LANルーターなんかについてくる「簡単設定シート」みたいなものが例に挙げられます。画面写真と「こう操作してください」の羅列で、「はい、Yahooが見えました。おめでとう。インターネット開通です!」みたいなアレです。その過程には無線LANの接続設定、ルーターのプロバイダ設定、プロバイダのIP電話設定、Yahooトップ画面と様々なものが含まれますが、簡単設定シートだけを読んだユーザからすれば、全てブラウザ上に表示されるもの=インターネットになっちゃいます。だからある日ネットが見えなくなっても、無線が圏外なのか、プロバイダがメンテなのか、相手サーバーが落ちてるのかといった切り分けはできずにただ「インターネットがつながらないっ!」になっちゃう訳です。

 メーカーも「背景理解抜きで使える製品」をウリにしたいでしょう。もちろんユーザだって「ただ使えりゃいい」、「背景知識は知らずに済ませたい」でしょう。でもね、それは

悪いけど今日明日には無理!

そういうものを目指して頑張る人は常に必要ですが、一方で僕らは今日困っている人を助けてあげなきゃならない。そこで理想や体面は二の次。ユーザさんに頭下げて「すみませんけどちょっと時間使って、これだけは理解してといてください。そしたら今よりずっと使えるようになるはずです。」と言える潔さを持ち、なおかつユーザに対しても啓蒙をしていくべきなんじゃないでしょうか?

 カーナビの音声認識技術だって波形マッチングやってるという理解でない人に「決まった言葉しか理解できません」と説明だけしても、「千葉県と滋賀県はいつも間違えるくせに、検索と探索なんて似たような意味の言葉は融通聞かせて受け付けてはくれやしない!」ってことになりますよね。ちょっと時間使って波形マッチングのメンタルモデルが頭の中にあれば、意味の類似度ではなく発音の類似度が重要ってことがわかって、より誤認識されにくいしゃべり方が自然とできるようになると思います。

 難しい概念を隠蔽するとか、かわりに自動でやってあげる、というアプローチもまた教育論的にはすでに時代遅れで、いま教育現場は必死にそれから脱却しようとしています(以前のエントリも参照いただければと思います)。

 ちなみに誤解しないでいただきたいのは、背景知識理解“だけ”を推し進めてもダメだということです。僕らの世代の中学英語は「This is a pen.」というもっとも基本的な文法構造から初めて徐々に複雑な表現形態を覚えて行くの積み上げ式が良いと信じられていました。ところが現在の教科書でLesson 1は「How are you?」から始まります。いきなり疑問文です。もちろん疑問文なのが重要なのではなく、現実場面でもっとも有益な知識だからです。ちなみにアメリカの幼稚園の作文授業ではいきなり「通販で買った花瓶が割れてました。クレームのお手紙を出してみましょう」あたりから始まるんだそうです。文法概念なんてのは使ってるうちに身に付く。そこの理解は目的ではない訳です。不規則動詞を思い出してください。英語の不規則動詞は皆さん暗記的に覚えさせられたと思いますが、日本語の不規則変化な誰に習うでもなく使いこなせていますよね?つまり学習ってのはその知識を使うべき場面で自然に起こるもので、知識単体で“伝達”してもしょうがないんだ、という考え方です(ここいらも上でリンク張ったエントリで触れてます)。

 背景知識だけ詰め込んでもダメ。先ほどの「簡単設定シート」の類でユーザが「さぁ、インターネットつなぐぞぉ!」って気になってる時に、上手く背景知識を織り込んであげるのが理想なんじゃないでしょうか。

 インターフェイス分野でもこういった教育/学習理論の知見の中に倣うべきものは非常に多いのではないでしょうか?マニュアル込みで製品の学習を“デザイン”しましょうというお話。

■ジャーゴンってそんなに悪いもの?

 これは以前にコラムでも取り扱ってます。そもそも人は放っておいてもジャーゴンを作る(時にはそれ自体を楽しみさえもする)じゃないですか。マルキューとかシロガネーゼとかw。それって実はヒトとしての基本的な方略だし、コミュニケーションの効率化に大事だよね、って話。

 こないだ買ったEverioではデフラグのことを「ディスクの整理」と呼んでました。専門用語を独自の身近な日常語で置き換えることはよくやられますが、本当に有効でしょうか?冗長になってマニュアルが分厚くなるし、別メーカーのものに買い換えたら通じないし、せっかくデフラグを勉強していた上級ユーザにも通じない。たぶん店員さんに「これのディスクの整理をしてたら…」と質問しても「は?」とか言われちゃいますよね。

 もちろん、マルキューやシロガネーゼみたいなすぐに意味がわかるジャーゴンをデザインすることは大事だし、扱う概念自体が新規なものなその理解に対する“足場かけ”は重要だとは思います。

■熟達者向けにも簡単参照シートを!

 熟達者でもマニュアル見ないと使えない情報ってあります。例えばケータイの初暗証唱番号とか、ルーターの管理ページのアドレスとかですね。こういうのって、初心者向けの冗長な説明フローの中に埋もれていたり、時には上記の例の様に呼び方すらかえられてマニュアルのどっかに埋もれています。「玄人はこれだけで充分。玄人でもこれだけは必須」って情報を、呼び方やフォーマット決めて、マニュアルの裏表紙に書いとく、みたいなデ・ファクトを確立したい今日この頃です。

 とまぁ、そんな感じで話をしてきました。How toやWhat is型の情報は今後、どんどんオンラインヘルプの延長としてシステム自体に組み込まれて行くでしょう。そんな中で依然としてマニュアル(紙であれ電子媒体であれ)の役割として残るのは背景概念の説明の部分なんじゃないでしょうか?単なる“取り扱い”説明書ではなく学習書、簡単設定シートだけではなく簡単理解シートも添付しようよ、って言ってみる。

プレゼンテーションソフトがテトリスにならうべきこと

 24日のHQLセミナーと本日のTCシンポのパネルディスカッションで久しぶりにパワポを使ったプレゼンテーションをしました(それぞれの感想と反省については近日中に)。

 そこで感じたプレゼンテーションソフトへの要求仕様は、「次のスライドが見えていること」ですね。そう、テトリスで次に落ちてくるブロックの予告が出ているじゃないですか?アレです。

 ある事柄を説明するスライドが2枚A、Bあった時に、ついAのスライドだけで最後まで説明してしまって、めくってみたら今話しちゃった内容が出てくる、なんてことありますよね?そういうことを防止するために、「次にこんなスライドが来るよ」というのがどこかで小さく出ているといいなと思います。今回のHQLセミナーではノートPCを2台並べて、パートナーの人に1枚先行でめくってもらったりして結構役に立ちました。

 パワポはそれに限らずデュアルモニタの活用が不十分ですよね。せっかくTabletPCでペンを使って書き込みができるのに、手元側でノートを参照しつつ、ということが出来なかったりします。手元側がノート込みのビューで、外部出力側がフルスクリーンのスライド、というところまではできるんですが、その状態でペン書き込みができないんです(ペンツールがフルスクリーンでないと表示されないため)。

 その辺り、後発のKeynoteやOOoなんかはどうなってるんでしょうね?ご存じの方がいらしたら教えていただければ幸いです。

オープンなユーザテスト風景ビデオ素材

事前説明してるところ
事前説明してるところ
テスト風景
タスク実施してるところ
観察室の様子
モニタールームで観察してるところ
今まで、こんな写真も気軽に出せるものがなかったんですよね
(施設提供:株式会社ユー・アイズ・ノーバス)

 今日はmixiの「ユーザビリティの会」コミュニティ内の有志で集まって、模擬ユーザテストの実施と撮影を行いました。

 世の中にユーザテストってこんなもんですよ、ということを気軽に参照できるビデオってのがないね、ってことが発端で、フットワークの軽い同コミュニティで「サクっと作ってフリーで公開しましょうよ」ってことになりました。どこも業務で実施したテストの映像は山ほど抱えてるのですが、気軽に外に公開できるものって持ってなかったりするんですよね。

 ユーザテストの被験者入室から退室までの流れを複数のアングルで収めました。タスクは携帯電話の電話帳登録で、被験者の発話は多めです。

  • 画面のアップ
  • キーを押す指のアップ
  • 被験者と進行役が並んで座ってる絵
  • それをマジックミラー越しの観察室から見ているスタッフの絵

などです。

 とりあえずそれぞれDVテープで収録してあります。近日中にMPEG2をDVDに焼いて実費負担で配布できる体制を作り、サンプルをネットでダウンロードできるようWMV形式あたりで作ってみる予定です。ご興味のある方は、mixiの同コミュや、ここをウォッチしておいていただくか、なにがしかの手段でご連絡をいただければと思います。

 基本的には編集無しの生素材の配布です。欲しい人が適宜必要な部分を自由に活用してください、というスタンスです。参加スタッフの思惑としては、

  • クライアント向けの営業用に
  • 被験者募集時にどんなものか知ってもらう為に
  • 教育用に

などがあるようです。何か面白い活用方法があればご提案くださいませ。


知識ってのはシリアライズできるものじゃない

 HQLでのセミナーの準備をしながら気づいたことのメモ。

■知識をシリアライズすることの矛盾

  冒頭の認知科学の基礎的なトピックのスライドを作っていて、なかなか順番が決まらずに困っていました。記憶、知識、学習といった部分は相互にからみあっていて、どこから説明するのが良いものか。できるなら、基礎的な内容から順番に触れていって、「これはさっき説明した○○に基づいています」と徐々に発展していくのが、綺麗でわかりやすいはずだ、と思っていたワケです。算数なんかの授業モデルですよね。

 が、これがそもそもあまり意味がない、もしくはよろしくないということがわかってきました。最新の学習理論的に言えば、そもそも人の知識獲得というのがそういうプロセスで起きていないんです。一見関連が見えない様々な事象を見たり聞いたりして、自分の中でそれらを結びつけて考えたり、帰納的推論を行って一般化したりする。それこそが学習の本質であって、学習者の中で自発的にそれが起きなければあまり意味がない。綺麗に系統立てて教えてあげてもフーンってなもんで流れていってしまう。むしろ、時には情報同士で矛盾すら起きて、それを合理的に説明してみる、といった活動がなければ身にはついていかない。

 恐らくそもそも自分の頭の中にある知識がそうして獲得してきたものなので、それをシリアライズして他人に伝達できる類のものじゃ無かったんです。σ(^^)は、インターフェイスの問題点を予測したり説明したりできる(まぁ、仕事して食べていけてる程度には)。それは誰かに「こうすればいいよ」と教わったものではなくて、好きで色々な道具に触れてきた中で得た膨大な商品知識、大学で得た認知科学に関する知識、仕事で得た経験などが複雑に組織化されて今の自分のスキルを構成しています。そしてそれを後進達にも継承していかなければならないワケですが、あまり上手くいっていません。それが何故なのか少しわかったような気がします。

 σ(^^)はユーザビリティ屋なので、自分の話が聞き手(読み手)にとって、スンナリ理解しやすいように整理し、系統立てて説明することにこだわりを持っていました。なので、自分の中のノウハウをなんとかシリアライズすることに固執していたところがあります。「これを読めば一通りのことがわかるよ」的なものを目指していたワケです。ですが、元々シリアルにσ(^^)の脳に入力された情報ではなかったものを、シリアルに出力して他人に伝達できようはずがないのです。そして、仮にそれができたとしても、相手の側でもそれがあんまり理想的な入力形態ですらないワケです。

■系統立てて整理してあげるのはダメ?

 もちろん、情報を系統立てて順序良く整理することの価値は依然として充分にあるでしょう。帰納的推論の過程が大事だといっても、すべての人が同じ事象を見聞きして、そこから同じ推論をして同じ一般解に辿り着く、なんてのは効率が悪すぎます。セミナーでそんなことしたら顰蹙の嵐でしょうね(笑)。ただよく言われるような「本当に大事なところは本人に考えさせる」みたいなスタンスは織り交ぜていかないと、σ(^^)達が受けてきた上意下達的教育から進歩していないことになります。セミナーではその辺のバランスを上手くとって、ジグソーと呼ばれる方式で、参加者自身で異なった資料を読んで理解してもらい、それをグループ内で説明しあって、それらの間で一般化できる知識を見いだしてもらう、ということをしてもらう予定です。これは最近の教育研究の中で注目されている授業形態です。そうすることでより深く理解をしてもらい、頭に染みこませてもらいつつ、人間の理解過程の本質についてその場でプチ体験してもらえたらなと思っています。決して講師がラクだからとかではありませんので、お間違えなきよう(笑)。>参加者の方

 多分、受け手の情報解釈への態度やスキルにも絡んだ話だと思います。綺麗に系統立てて話されたことの中からでも自分なりの一般化をしていける人もいるでしょうし、フーンで終わってしまう人もいるでしょう。人の違いもあれば、その内容に興味があるかどうかにも寄ってくるでしょう。前者に属する人は、基本的にあまりオーガナイズされた情報でなくても良いことになります。逆に後者の人にはどうするのが良いでしょう?自分で情報をオーガナイズするスキルがなければ雑多な入力は意味をなさないし、過度に整理された情報を一方的にガーっと入力されても目を回すだけです。バランスの問題と、そもそもどう興味を持たせるか、みたいなことなんですかね。

 少なくとも旧来の教育では与えられた情報をオーガナイズする術そのものについてはほとんど扱ってこなかったことは確かであり、そこは問題なんでしょう。そして、興味を持てずにドロップアウトしていく子供のために、やさしくやさしく情報をかみ砕いて整理したものを押しつける方向に流れていってしまいがちだったのが失敗だったのかも。

■正しい教育のあり方

 ヴィゴツキーという人が提唱した“発達の最近接領域”(Zone of Proximal Development)という考え方があります。ある子供がある段差を「乗り越えられない状態」から、「自力でそれができるようになる状態」までの間に、大人が足場をかけてやるなどの手助けをしてやればできる状態」というのがある。大人(教育者)の役目はその“足場かけ”(Scaffolding)を適切なレベルで行うことであって、無理だからと段差から遠ざけたり、段差の上に持ち上げてやったりするんじゃダメだよね、という考え方です。情報を与える側が系統立ててやるばかりでもなく、未整理なまま与えて放置するでもなく、学習者の中で推論や矛盾や問題解決といった知的活動が常に適切なレベルで起きるような与え方を苦心して考えていかなきゃならないってことですね。

■単なる知識が“心の糧”となる興奮

 さて、今日の結論は、読み手のわかりやすさはあんまり気にせずに、散文的に書き散らしていって、読み手が勝手に再構成するまかせりゃーいいんじゃん、ってことだろうか(笑)。まぁ、それは極論だとしても、σ(^^)の古巣のような認知教育系の研究では至極当たり前のこんなこと、トピックとしては在学中にも何度か耳にしていたはずですが、今それを人に教える立場になってみることで、ようやくそれらのエピソードが有機的に結びつき、自分にとって意味あるものに“化けた”気がします。これが本当に糧としての“知識獲得”なんだなと。“なゼミ”(三宅なほみゼミの通称)生としては遅すぎる気づきかも知れないですが、こういう体験は、次の知的興奮を求める何よりのエサなんですよねぇ。 少なくとも夜中にこんな長文を書いて人に知らしめたくはなってます。こういう連鎖が起きる(起こしたくなる)ことも大事ですよね。

 ともあれ色々なところで少し気が楽になった気がします。

 とりあえず目前のセミナーでは、

  • 関連した情報の提示順にはあまりこだわらない
  • でもそれらの関連について自身での内省を促してみる
  • 連鎖的に人に話したくなるようなネタを用意する

といった辺りに留意してみようかと。

 

『古田さん、それって使いやすいですか?』第二回掲載

“使いやすさ”への取り組み / 古田さん、それって使いやすいですか? 第2回 | ricoh JAPAN

 株式会社リコーさんのサイトで書かせていただいているコラムの第2回が掲載されました。

 今回は自身で考えてみて下さい的な内容にしたので、写真というか具体事例がないのでちょっと寂しいですね。今後はなるべく入れて行きたいと思います。一方で自分でも考えてみる、というのも欠かせないと思っていますので、「問題と答え」っても引き続き何かしら含めていきたいと思っています。

 ご意見、ご感想などをお待ちしています。