燃えと萌えとメタ認知

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 随分前のことだが、映画『スチームボーイ』を観に行った帰り、「思ったよりモエなかったね」とつぶやいたら、一緒にいたNAOタンに「当たり前でしょっ!」と語気を荒げられた。もちろん、σ(^^)は「萌え」ではなく「燃え」の意味で言ったのだけど、今の若いモンはそっちの意味を知らないのか、単にσ(^^)が萌え属性一辺倒に見られているのかw。

 σ(^^)の脳内年表では、伊東岳彦(BLACK POINT)氏の『宇宙英雄物語』で悪ノリ大好きな先生やクラスメイト達が、宇宙人が襲ってくるなどの非日常な事件が起こった時に「燃えるっ!」のように使ったのが始まりで、「萌える」はその少し後、『セーラームーン』の頃に成立した“もじり”だと理解している。

 当時、「燃えるっ!」が画期的だったのは、ドキドキ高揚した気分をメタ認知的に表現できる使いやすいフレーズだった点にあると思う。それ以前にはそういう気持ちを一言で端的に表す言葉がなかった気がする。そしてもう一点、人間は主課題の負荷が高いとメタ認知が働きにくくなる。つまり、本当に状況に熱中し没頭していれば、今の自分をモニタリングして「今オレは燃えている」というメタ認知は働かないはず。そこをあえて自分から表現しちゃうことで、微妙な照れというか「いやぁ、まんまとノっちゃってますよ」的な気分を明示しつつ、一定の理性を保っていますという意味合いがあったんではないだろうか。

 「萌える」も同じで、エンターテイメントとして“狙った”燃えや萌えが氾濫する世の中で、その策略に載せられるのは悔しいと思いつつ「へっ、つきあってやってるぜ」ということや、ちゃんとメタ認知が働くくらいには理性が残ってて、現実世界とのアンカーはつながってるぜ、ということをアピールするためのツールだと考えられる気がした三連休。

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